易とシンクロニシティ

古代中国の人たちは、人間を含め、すべての根源は宇宙の大局のもとにあり、その大局の変化によって自然界が変化していくと考えた。その変化が8つの形、すなわち、地・雷・水・山・沢・火・風・天である。さらに、この8つを組み合わせると64の卦ができる。この64の卦によって、森羅万象のすべての運命を判断しようというのである。

易は、偶然の積み重ねによって「卦」を出していく。占うべき事柄を心に念じつつ、未来の運命を探る時、たまたま表れる易の結果は、突然の暗示ではなく必然の暗示だというのである。

易はシンクロニシティの考え方に通じているとユングは考えた。易では自分の心中に起こることを占うと同時に、外の世界で起こることを占う。つまり、この二つが一致した時に何かが起こるわけであるから、そういう点で易こそシンクロニシティだということなのだ。

ユングと易

ユングが「シンクロニシティ」なる考えを生み出すに至った「易」との触れあいを見てみよう。

ユングが儒教の五経の一つである『易経』に最初に触れたのは、イギリスの中国学者レッグの英訳を通じてであり、1920年の夏には易を実際に試み始めていた。湖の葦を五十本切って筮竹の代わりとし、『易経』をそばに置いて、「易経の占いの方法が実際に利用できるかどうか、そしてそれが有効であるかどうか」を実験していったのである。

その後、1920年代初めドイツのカイザーリング伯のところで、ドイツの誇る中国学者リヒアルト・ヴィルヘルムと出会う。ヴィルヘルムは、レッグ以上にはるかに中国人の心性に入り込みつつ、主要な中国古典を流暢なドイツ語に翻訳して、西欧諸国に紹介しつつあった。

1922年にはチューリッヒの心理学クラブにヴィルヘルムを呼んで、「易」について講演してもらう。そのときユングは、自分の患者のことについてひとつ占ってほしいと頼んだ。ヴィルヘルムのたてた卦はぴったり一致したが、それだけでなく、その患者の未来についても予言してみせた。その2年後、予言のとおりとなった、とユングはいう。

1924年には、ヴィルヘルムは『易経』のドイツ語訳を注釈つきで出版した(このドイツ語訳は後にベインズ夫人によって英語に訳された)。欧米で『易経』(イー・チン)といえば、まず間違いなく、このヴィルヘルム訳の『易教』のことと言ってよい。彼の感情移入の才によるこの訳書は、『易経』の持つ詩的含意を十分伝えているというべきであろう。ユングは、ヴィルヘルムの訳書を手にして、彼がユングと殆ど同様の見解をとっていることに満足を覚える。

1930年3月、ヴィルヘルムがこの世を去った。5月には葬儀をかねた記念講演会があり、ユングはその場で「シンクロニシティ」の概念をはじめて公表する。

「中国人は『科学』を所有しています。その科学の基準となる『古典』がまさに『易経』なのです。しかしその科学の原理は、中国における多くの事柄と同じように、われわれの科学的な原理とは全くちがったものです。『易経』の科学は、実は因果律にもとづいたものではなくて、われわれがこれまでめぐり合ったことがないために命名されることのなかった一つの原理にもとづいています。私はそれを、かりに共時性の原理とよびました。」

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