ユングとシンクロニシティ

1909年のある日、ユングはフロイトと超常現象について議論していた。フロイトはユングの心霊主義に対する関心をしかり、「オカルティズムのぬかるみの黒い流れ」にとらわれたりしないように、面と向かって警告した。好意的な反応を期待していたユングは、そのショックと怒りで緊張し、横隔膜のあたりに、あつくこみあげてくるような感覚をおぼえた。


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すると突然、ユングの耳にはバカンという大きな爆発音が聞こえてきた。隣の本箱のなかからしたようだと思ったユングは、物が落ちてきやしないかと、とっさに立ち上がった。それにつられてフロイトも立ち上がった。「これこそ霊媒による外在化現象ですよ」と語るユングにたいして、フロイトは「ばかなことをいうな!」とこたえた。

ユングはすかさず応酬した。とっさに口からこんな言葉が出た。「先生はまちがってます。その証拠に、もう一度同じことが起こりますよ」。そういい終わったとたん、ユングの耳にはまた爆発音が聞こえてきた。「ほら、したでしょう」。だがフロイトはあっけにとられて、ユングの顔を見つめるばかりであった。なぜならフロイトには聞こえなかったのだから。

しかしユングにはフロイトの顔つきがなにを意味しているのか、またフロイトがなにを考えているのか、まったくわからなかった。が、それはともかく、ユングはこの事件をきっかけに、全人類に共通した集団的あるいは集合的無意識というものを考えるようになっていく。

1920年代の半ばごろ、ユングの無意識の研究に大きな飛躍を与える事件が発生した。ユングはそのとき、ひとりの若い女性の心理治療にあたっていた。この女性は我が強く、合理性に異常に固執するため、ユングはなかなか彼女の心の壁を取り除くことができず、治療の効果がほとんどあがっていなかった。

ある日治療を行なっているとき、彼女は昔見た夢について語り出した。見知らぬ男性から、黄金のスカラベ(コガネムシ)を贈られるという内容だ。ユングがこの話を聞いているとき、突然うしろの窓を静かにトントンと叩く音がした。振り返ってみると、一匹の虫が窓の外側でガラスにぶつかっている。窓を開けるとその虫は部屋のなかに飛び込んできた。ユングは虫を捕まえて患者に渡し、こういった。「さあ、これがあなたの夢に出てきたスカラベですよ」。

患者は、手の中の虫をじっと見た。背中の部分が虹色に輝いている。まさに夢で見たのと同じだ。この「意味のある偶然の一致」を目のあたりに体験することにより、彼女の内面を形成していた独自の世界観が音を立てて崩れた。この一件がきっかけとなって、彼女はユングの治療を素直に受け入れるようになったのである。

さらにエジプト神話では、スカラベは「変容」の象徴であったので、なおさらユングには「象徴的!」としかいいようのないケースだったのである。要は、患者が現在の状態から何かへと「変容」しなければならないちょうどその「時」に、然るべき意味をまとったシンクロニシティが生じたということだ。

1929年の夢分析セミナーで、ユングは初めて「共時性」に言及し、「ものごとが同期する(シンクロニシズム)という考え方は東洋の偏見であり、因果律は西洋の偏見である」と語る。その一年後、『易経』をドイツ語に翻訳した中国学者リヒャルト・ウィルヘルムにたいする追悼講演で、ユングはこの独創的な概念を公表した。

「『易経』の科学は、実は因果律にもとづいたものではなく、われわれがこれまでめぐりあったことがないために命名されることのなかったひとつの原理、私が仮にシンクロニスティックな原理とよぶものに、もとづいているのです。」

そして、ユングが初めて「シンクロニシティ」という用語を使ったのは、1935年、ロンドンのタヴィストック・クリニックでの講義中のことでした。「タオは、あらゆるものでありえます。わたしはいまひとつの単語を、それをさししめすためにつかいますが、それもまたその意昧をじゅうぶんにあらわすにはたりないものでしかありません。わたしはそれをシンクロニシティとよびます」。

しかしながら「シンクロニシティ」についてまとまって論じたのは1951年のエラノス会議での講演「共時性について」と、翌年出版された物理学者パウリとの共著『自然現象と心の構造』を待たなければならない。現代科学の存立基盤である因果律に対峙する原理としての「シンクロニシティ」を説くにあたってユングはそれだけ慎重であった、といえよう。

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